トップページへ戻る

       <第三回例会 活動報告>         
 
○●2010年6月11日(金) 向島百花園では観光バスでたくさんの人が
紫陽花鑑賞会で賑わっている中、アイビーボウル向島で活動しました!!
    (一ヶ月って早いですね・・・)
前回と同様に基本スクーリングから反省会?まで楽しく健康的に過ごしました。

なお、今回より新会員
清水さんが参加されました。
   
      <参加者名:9名>敬称略
 石川・岸・齋藤(和)・
清水・中根・早川・横田・小原・木田 

 
スカイツリーも真下から見ると空に向かって咲く花の蕾のよう! 

〔知識編〕

・ボウリングの歴史 → ビデオを見ながら

 

 
   
                        <ボウリングの歴史〜
紀元前5200年前(7000年くらい前)のエジプトにはすでにあったとされる。中世ドイツでは信者の信仰心を試す宗教的儀式として用いられていた。(ピンを悪魔と見たてていた。)13世紀にはイギリスで芝生のボウリングが行われていた。

しかし、あまりのブームによって武道が疎かになるとのことから、禁止された時代があった。現在、ローン・ボウリングとして行われている。15世紀には今まで屋外で行われたボウリングがロンドンにおいて室内で行われるようになった。

16世紀にはドイツではあのマルティン=ルターがボウリングのルールを作った。ピンが9本に決められた。現在はナインピンとして残っている。
 
1626年  オランダ人のアメリカ大陸移住によってニューヨークにボウリングが伝えられた。 
1740年 アマデウス=モーツアルトがピアノ3重奏曲「九柱戯:変ホ長調 K498」を作曲。
1841年  しかし、次第に賭博化傾向にあったナインピンはコネチカット州において禁止され、ニューヨーク州も
       それに 続いた。
1861年 6月22日にオランダ人によって長崎県出島にボウリング場が現る。以来この日が「ボウリングの日」
       とされ, 現在ボウリング業界においてキャンペーンが行われる。
1865年 ジョセフ=サムがピン10本でやれば法律に違反しないと考え、テンピンボウリングを誕生させた。
1875年 ナショナルボウリング協会が結成され、今の根底となるルールが作られる。
1895年 アメリカンボウリングコングレス(ABC)が結成され、競技ルール、用具の規格統一を計る。
1946年 アメリカで世界初の自動ピンセッターが公開される。
1952年 東京青山に日本初民間ボウリング場「東京ボウリングセンター」がオープン。(当時は手動式の機械)
 
・スペアの取り方(3.6.9システム) → ビデオを見ながら、インストラクターのレクチャー
 
   
スペアの取り方は249通りありますが・・・ それをやさしい計算の7パターンで取ることを覚えます。 (テキスト参照)  
 
〔実技編〕

・まずは、前回同様投球前のストレッチから始まりました
・投球練習の前にインストラクター説明・指導を受ける
 
・投球練習で〜す! 今回はスペアを取るための立つ位置を注意して構える!(板目を数えて立つ) :敬称御免
  
  
  
     
・練習投球後にアメリカン形式で1ゲームの得点を記録しました
         (注)今回は試合形式のアメリカンで投球しました=アメリカンとは左右のレーンを1フレーム交代で投球します
 
    以上、健康的に体を使った正しい基本練習第三回無事終了、お疲れ様でした!
    (心配された筋肉痛も減少傾向にあります・・・)
〔反省?会〕
・いい汗をかいた後は、徒歩で前回同様駅前居酒屋へ移動
         
 話題はボウリングと他の同好会活動そして思い出話など豊富でした、
           早くも次回予定をデンキブランでお馴染み浅草の神谷バーに決定して散会!
〔番外編〕

・向島百花園の紫陽花鑑賞会に対抗して、百花園とその周辺の紫陽花を・・・・・
   
     
  
      ということで、また次回7月9(金)に!         ( 木田 記)




     トップページへ戻る                                ページの始へ戻る


(2010/06/14:HP編集 後藤)